遠距離介護が始まった…

突然起こった親の介護問題。なにもかも初めてで手探り状態ながらも、自分なりのスタイルを模索している実践記

母が倒れているのをWEBカメラで発見。4ヶ月が過ぎて決断したこと。

久しぶりのブログです。

2年前に父が他界し、あれよあれよという間に時間が過ぎていきました。

父の他界から今までの2年間をお話しします。
母のひとり暮らしが始まりました。
生まれて初めてのひとり暮らしで不安だろうけど慣れてもらうしかない。

週1回のデイサービスと2泊3日のショートステイを利用して、週の半分は施設でお世話になり、残り3日間は家で自由に過ごすという生活パターンもすっかり定着しました。
毎朝6時に母から電話をかけてもらって他愛ないおしゃべり。

この2年の間、ほぼ毎日続けていました。

 

料理が面倒だという母の助けになるようにと、惣菜やお菓子、生活用品をたまに送って喜んでもらったり、私が田舎へ行く機会もだんだんと増えてきました。

 

今年の夏は1ヶ月ほど滞在して母と楽しい時間を過ごしました。
いつもの遠距離介護の生活に戻って2週間くらいたった9月の始め。

毎朝の電話がかかってこない。
おかしいなぁと思ったけど、二度寝したかもしれない。トイレかもしれない。
そう思って20分ほど待ってみた。

心配になって電話をかけてみる。
呼び出し音は鳴るけど電話に出ない。

 

おかしい。

 

少し前に設置したWEBカメラで部屋の様子を確認する。
私のスマホから様子を見れるようになっている。

1台目のカメラには誰もいない部屋だけ。

2台目のカメラはトイレと洗面所前の廊下が見えるようになっていた。

そこに人影が。。。

母が倒れているみたい。だけど、よく見えない!

 

5分ほどしてもう一度カメラを確認。

 

やっぱり、さっきと同じ姿勢で人影が映ってる。

母が倒れてる!

今度は確信した。

 

どうしよう。

 

今から家を出ても田舎の家につくのは3〜4時間かかる。
早くなんとかしなければ。。。。
近くに住む親戚のおばさんに電話をかけて、救急車の手配を頼む。
その足で家を飛び出し田舎の家へ向かう。

 

ドキドキ、ドキドキ

 

おばさんから電話があり、搬送された病院に向かう。

脳出血だった。

そのまま入院。
一命はとりとめたけどコロナ禍で面会できず、
母に声をかけて安心させてあげることもできなかった。

1ヶ月ほど経った10月初めに、治療が完了したのでリハビリをするための病院へ転院。
介護タクシーで移動するわずかな時間だけ母に会うことができた。
でも、変わり果てた姿にビックリ。
右半身がマヒしてしまい、まっすぐに座ることもできない。
意識もはっきりしないようで、私のこともわからないようだった。

 

転院して1ヶ月。
11月の終わりに病院で報告会がありリハビリの進捗状況をきく。
半身のマヒは回復の見込みが無いこと。
マヒした右腕と右足に萎縮がでて90°に曲がったままになっていること。
自分で飲み込むことができないので、鼻にチューブをいれて食事をとっていること。
認知が進んでいること。
そして、胃瘻をするかどうか検討してほしいと言われました。

 

胃瘻はあまり気が進まない。
苦しみを長引かせるだけじゃないかと悪いイメージがある。
でも、胃瘻をしなければ、それは母の寿命があと数ヶ月だけになることを意味する。

どっちが正しい選択か。

母に悲しい思いや辛い思いはしてほしくない。
でも、一人で倒れたままの不安な気持ちで最後を迎えて欲しくない。

 

何度も何度も考えた。

決められない。

 

ipadでテレビ電話ができるようにしてもらった。
機嫌のいいときはニッコリ笑ってくれる。
もっと母を笑顔にしたい。
胃瘻をしてつきっきりで介護しようと思う。

 

でも、気分が落ち込んでいるときは

「もうほっといて」

「もういいから」

「もうやめて」

と苦しそうに泣き叫ぶ。
苦しむ姿を見ると胸がえぐられる。
やっぱり胃瘻は止めた方がいいのか。。。

 

迷いに迷って、先週ようやく決断した。
ほんの少しでもコミュニケーションがとれるのだから生きていて欲しい。
12月23日、2回目の報告会で胃瘻の手術の同意書を提出しました。
来年の年明け早々に手術をするという。

2回目の報告会に向かう日は大雪だった

 

本当にこれでよかったのか、まだわからない。
今後どうなるのかもわからない。
コロナ禍で面会させてもらえないのが悔やまれるし、苦しい。
今は先が見えない不安で、まだ気持ちがグラついている。