遠距離介護が始まった…

突然起こった親の介護問題。なにもかも初めてで手探り状態ながらも、自分なりのスタイルを模索している実践記

どうすれば…

母が脳出血で倒れ、
かろうじて一命を取り留めることができて、
もうすぐ1年になる。

母の容態は安定しているけど、不安になったり悲しくなって、泣き叫ぶことが多くなったという。
「お父さん、助けて!」
「やめてーーーー!」
「なんで、こんな目に遭うの?」
こんな言葉を叫んでいることが多いという。
母の苦しみを考えると胸が締め付けられるように苦しい。
なんにも出来ない自分が情けない。

なにかできることはないか…
自分の決断は間違っていたのか…
もう一度振り返って考えてみようと思う。

 

はじめは、2022年8月31日。
意識不明で倒れているのを発見して緊急搬送。
そのまま入院。
夜、入浴しようとしていたときに倒れたらしい。
ここ数年、毎朝母と電話でおしゃべりしていた。毎朝6時に母から電話がかかってくる。他愛のないおしゃべりをして楽しく過ごすのが日課になっていた。でもこの日は朝の電話が通じないので不審に思い、念のため設置しておいたWEBカメラで家の様子を確認したら、母が倒れているのがわかった。
すぐに、ご近所のおばさんに連絡して家の中に入って母の様子を確認して貰う。
私は、電話を切ってすぐに列車に飛び乗り母の家へ向かう。
倒れてから意識を失うまで、どのくらいの時間が経ったのだろう。
どうにもならない身体でひとりぽっちで倒れているのはどんなに不安だっただろう。助けを呼びたくても出来ない、何時間もそんな状態でいる心細さ、無力感はどんなだっただろう。

列車の中で、おばさんと連絡をとりあい、搬送された病院へ直行。
緊急搬送されて入院する手続きの間だけ母と会うことができた。
入院後は面会できず。。。

入院した翌月9月30日にリハビリ病院に転院。
転院のために病室を出るときに少しだけ話しができた。
髪は伸び放題で半身麻痺と手足の拘縮があり、入れ歯のない顔は別人のよう。母の入れ歯のない顔を初めて見た。あまりの見た目の変わりように愕然とした。

転院してリハビリに努めるが、思うような効果はでない。
拘縮した手足を伸ばそうとすると痛がって嫌がるという。
拘縮を改善するために「ボツリヌス治療」を行うことを提案され了承。
しかし、全く効果はなかった。
母に無駄に痛い思いをさせてしまったと後悔。

嚥下機能も回復せず、点滴だけの栄養補給では限界があるからと「胃瘻」の手術を提案される。手術を受ける母の負担を考えて、手術をするかどうか、本当に悩んだ。いろんな人に意見を聞いて、自分でもよく考えて、悩みに悩んだ末に手術をして貰うことにした。
医者から、母には意識がありコミュニケーションも取れる状態なので、胃瘻の手術は単なる延命ではなく、治療して回復していくための前向きな処置なんだと言われたことが決め手となった。意識不明だったり、コミュニケーションが取れないままだったなら、手術はしなかっただろう。点滴だけの栄養補給では、次第に栄養不足になり数ヶ月の命だと言われていた。

胃瘻の手術は成功し、胃瘻も開始。
体力は付いてきたようだが、不安や落ち込みは入院時からあったらしく、大声で泣き叫んで動くのでミトンをはめられていた。それと、夜にちゃんと眠れるように眠剤も多めに処方されていたようだ。(最初の病院でも同様だった)

3月20日、リハビリ病院から退院し、
いままでショートステイでお世話になっていた介護施設に入所。

実は、母の入院中に、退院後は自宅で私が母の介護をしようと介護のスクールに通い「実務者研修」の資格を取得。勉強してみると、母の介護をすべて私ひとりでできるかどうか不安になってきたことも事実だった。なんの経験もない、ましてや子育てしたこともない私が、おむつ交換や胃瘻の注入、痰の吸引、寝ている体位を2時間ごとに変えるといったことができるのだろうか。関係者全員に反対された。「あなた1人では無理ですよ」と。私もキツイけど介護される母も快適ではないと。2人とも不幸になると。

せめて口から食事をとれれば…
自力で座れるようになれば…
着替えのときに立つことができれば…
母と2人で暮らせるのに。
私の想像では、少し手助けをすればなんとか動けるまで回復して、食事も取れるようになってくれると思っていた。そして、一緒に暮らそうと。

でも、現実はそうならずに、母は寝たきりのまま。
半身麻痺と手足の拘縮は強まるばかり。

胃瘻のおかげで体力はついてきて、
週に1回の面会では、合うごとに元気になっているみたい。
その姿が嬉しくて、母に会うことが嬉しいこと、母が笑顔でいてくれることが私の生きがいであり元気の源になっていること、母の真似をしているけど自分ではぜんぜん足りないこと、そして母の凄さを知ったことを伝えている。
毎日でも会いたいけれど、面会は1週間に1回、10分のみ。
コロナ前は個室の入所者の場合、充実いっしょに部屋で過ごせたという。
コロナが五類になったら、元に戻るかなぁと期待するも、変化なし。

5月23日、母が意識不明となったため、施設が契約している病院へ検査入院することに。
施設からの連絡であわてて病院に向かう。
病院で母に会えたがいつも通りだった。母は自分がどこにいるのかわからないようだ。
施設のスタッフから話しを聞く。
朝、起こしに行っても返事がない。声をかけても反応なし。ビックリして病院へ搬送したとのこと。後で考えてみたら、不安や落ち込みで眠れない夜を過ごして、明け方になりようやく眠ったところに起こしにきたんじゃないか。ぐっすり寝ていたので反応しなかったんだろうと思う。大事を取ってくれた施設スタッフさんを責められない。

でも、病院ではいろんな検査をして、母にはまたツラい思いをさせてしまうことになった。
事前に面会日を予約、面会直前に2000円ほど払ってPCR検査をし、特別なマスクをはめて面会室へ。アクリルの透明な衝立越しに5分だけ面会。それでも2〜3日ごとに面会に行った。
結果は異常なし。なのに、母の様子はどんどん弱って行くみたい。ツラそうだった。前の病院からの治療記録を引き継がないで何度も検査をしたり、抜け毛や小さな虫がついたままのベッドなど病院に不信感が高くなり退院予定を確認。

6月16日施設に戻る。
1週間から2週間に1回の割合で面会に行く。
会うとうれしそうな笑顔でおしゃべりしてくれる。

8月15日の面会時。
施設のスタッフが、母の不眠と不安や落ち込みの頻度が上がってきて、精神科の先生の治療をしてもいいかとのこと。月に1〜2回だったのが、最近は2〜3日に一度になっているという。夜中泣きじゃくったり、大声で叫んだりするとのこと。泣きはらして目が真っ赤になって瞼も腫れてしまって、収まるまでは部屋にいて、ハレがひいたら食堂にいくとのこと。

母の悲しみ、苦しみを軽くしたい。
胃瘻をしたことで苦しみが長引いてしまったのか。

あえて胃瘻をしない選択をしたという知人がいた。
相談した義兄は大学病院のトップ、個人的な意見というよりは医学的にどうかというアドバイスが欲しかったけど、私と姉の問題だから意見は差し控えるとのコメント。しかも、自分が大腸ガンになったら姉にはどんな状態になっても胃瘻はしないで欲しいと伝言していた。
この話しをきいて怒りが湧いてきた。
胃瘻はよくないと思っていたんだなってわかったし、苦しみを長引かせるだけだと教えて欲しかった。治療して回復すると信じていたから同意したけど、今となっては母の苦しみや悲しみを長引かせているだけになってしまった。

母と一緒に暮らしたい。
そのために、もう少しだけリハビリを頑張ってって母に伝えよう。
母への感謝とともに。
母と2人でたのしい時間を過ごしたいと。

今の私には自分の想いを伝えるしかできない。
何も出来ないことが悲しいし、悔しい。
コロナのせいで、そっとそばに寄り添うこともできないなんて。。。