遠距離介護が始まった…

突然起こった親の介護問題。なにもかも初めてで手探り状態ながらも、自分なりのスタイルを模索している実践記

リハビリ病院から特養施設へ

3月20日(月)。

リハビリ病院から特養施設へ。

母は施設に入所しました。

 

家で一緒に過ごしたくて、

介護の勉強をして

「介護職員初任者研修」の資格を

取ったけど、勉強してみて初めて

私ひとりで母の介護をするのが

難しいことを知った。

 

今の母は自力では寝返りができない。

床ずれができないようにするには、

2時間ごとに(夜中でも)体位を変える必要がある。

右腕・右足の拘縮も強くて90度に曲がったままだ。

着替えのために手足を動かすと痛みがあるという。

食事も胃瘻なので、専門の技術がいる。

痰の吸引の装置や吸引する技術もいる。

もちろん、おむつ交換もある。

 

私ひとりで全部できるだろか。

 

頑張って自宅に連れ帰って

介護にチャレンジするか、

特養にお世話になるか。

本気で悩みまくった。

 

母のためには何が一番いいのだろう。

 

家に帰れば、ご近所さんや親戚などが

お見舞いにやってきて晒し者になる。

すっかり見た目が変貌してしまった

今の姿をみられるのは嫌かもしれない。

家にいると逃げ場がないので、

来る人を避けることはできない。

 

介護経験ゼロの私ひとりで

母の介護をすると、

不快適なことも多々あるのではないか。

 

家に帰って

母と私の二人だけで過ごすことは、

母にとって幸せになるのか。

介護のプロのお世話になった方が

快適なのではないか。

 

施設で過ごす日々は寂しいだろう。

今までも、たくさんの身内がお世話になった施設。

ついに、自分の番か。。。って

落胆していないだろうか。

 

少しでも母を元気づけたい。

 

いろんなことを一緒にやりたかった。

もっと母のことを思いやってあげれば良かった。

田舎の家で母のやりかけた仕事をみるたびに、

母ひとりに押しつけて申し訳ない思いが溢れてくる。

母はひとりでどんな思いでいただろう。

寂しかっただろう。

文句も言わず、優しい笑顔で迎えてくれた母。

その笑顔の下の寂しさを汲み取ってあげられなくて、ごめんなさい。

もっと早く気づいていたら。。。

もっと私がしっかりしていたら。。。

後悔ばかり。

 

母が脳出血で倒れてから、

施設に入所するまで約半年の間で、

母に会えたのは合計でもわずか30分ほど。

一回あたりだと数分ぽっちり。

コロナがなければ、

もっとそばに寄り添っていれたのに。

母が不安なときに手を握ってあげられたのに。

声をかけてあげられたのに。

大事な時に一緒にすごぜなくて本当に悔しい。

一緒にいられたら、一瞬で世界が変わってしまった母の不安や苦しみを支えることが出来たんじゃないか。母はもっと回復できたんじゃないか。そばにいたい。直接会いたい。

なぜ、面会できないの。なぜ、なぜ.....

 

母がすこしでも快適になれるように

なにができるか、よく考えてみようと思う。

本当にこれで良かったのか

病院へ向かう列車の車窓風景。雲が垂れ込めて重苦しい感じが今の気持ちとマッチしてる。


昨日は病院で経過報告をうける日だった。
主治医は淡々と状況を話し、リハビリ担当の3人の先生からの近況をきく、続いて看護師さんからの報告。日中や夜中に大声で叫ぶことが多かったが、胃瘻後に鼻のチューブや拘束用の手のミトンがとれたことで少しずつ落ち着いてきていると。
最後は、主治医が退院後のことを早めに決めて欲しいとのこと。

「何か質問はありますか?」

急に聞かれても、すぐには思いつかない。

腕と足の拘縮を軽減するために行った「ボツリヌス注射」は思ったような結果にはならなかったという。そこで、その治療を今後も継続するのか聞いてみた。

「効果が認められないので、痛い思いをさせることはないと思う。
 治療費も高いので継続はしない。」

私の心の声:えーっ!その注射すごく痛いの〜?知らなかった。

「この治療をしている病院は少ないので遠くまで通院する必要があり、施設や自宅に戻ったら病院までは家族が連れて行かなければいけない。それができるなら続けてもよいかもしれないけど、効果があるかどうかはわからない。患者にも家族にもかなりな負担だと思う。」

私の心の声:どっちやねん!高くても、連れて行くのが大変でも、回復の見込みがあれば何でもするけど、見込みは薄でわからんって。。。中途半端な答えやなー。

「気持ちを落ち着けるための薬を投与していたため、夜は眠れるようになってきた。この薬は身体の機能を低下させるので「ボツリヌス治療」は効果が出にくかったかもしれません。」

私の心の声:???精神を落ち着ける薬?眠剤飲んでるのは知ってたけどセロトニンのような普通の眠剤じゃないの!!

「入院期間は最長で150日と決まっている。もう残りわずかになってきたので、次をどうするか早く決めないと施設の手配とかができなくなって困りますよ。現状以上の回復は見込めないので、そのつもりで考えてください。」

次々と言いたいことだけいって
「じゃぁ、後はサポートスタッフにお任せします」
と言い残して去って行った。

年末12月の報告ではそんなこと聞いてないよ。
あのときは悩みに悩んで主治医が薦める胃瘻の決断をした。

消灯後や明け方に、たまに不安定になって、大声で叫んだり泣いているとは聞いていたけど。。。
もっと事細かに聞いておけば良かった!!!
素人の私には何を聞けばいいのかもわからないし質問が思いつかない。

 

実際にはどんな感じなのか。
どんな1日を過ごしているのか。


コロナ禍で面会は一切できず、
病院での様子は全くわからないまま決断を迫られる。
どうすればいいのだろう。

 

 

翌日、看護師さんが I-pad のフェイスタイムで母と話しができるようにしてくれた。

「見えますかー。しばらくお話ししていてくださいね」

そう言って立ち去ろうとするので、

「母に眼鏡をかけてください。眼鏡がないと見えないので」
と私がお願いする。スグに眼鏡を探してかけてくれた。

始めはニッコリ笑顔だったけど、1〜2分後にはウトウトしだした。

先週までは寝かせてあげようと思って
「じゃぁ、切るねー」
といってフェイスタイムを終了していたけど、今日は粘って私一人がしゃべり続けた。
時々目を開けるので
「おかあさん、おはよー!」
といって手を振ると、嬉しそうにニッコリ微笑んでくれる。

「昨日はよく寝た?」
「どこか痛いとか苦しいとかない?」

と尋ねても無言。返事はない。


途中で、母が
「どうなってるかわからない」
と口にした。

私は
・病院にいること。
・リハビリしていること。
・母が倒れて入院したこと。
・コロナで面会が叶わず申し訳ないこと。
・こうして話しができることを心から嬉しいと思っていること。
・私が母の真似をしても足下にも及ばない。母はスゴい人だと心から思っていること。
いろいろと話しかけた。


だんだん母の表情が不機嫌な感じになっている。


そして、母が顔をゆがめてつぶやいた
「つかれた。しんどいからもういい」


私はスグに、
「じゃぁ、切るね。バイバイ」
っていって通話を切った。

 

フェイスタイムは約10分だった。
わずか10分。

このあと母はどうしているのだろう。


看護師さんは近くにいない様子だったから、
不快的な状態のままガマンしているのだろうか。
人を呼びたいけど、声を出しても誰もきてくれない。
何かしてあげたいけど、どうすればいいのかわからない。

 

手足の拘縮は動かすと痛みがあるという。
パジャマやシーツのほんの小さなシワでも褥瘡(床ずれ)ができるらしい。
これは介護の勉強をして知った。

母は毎日、つらい思いをしているのか。
快適で安らかな思いになることはあるのか。
褥瘡はできていないだろうか。
身体の痛みはどうだろうか。


そして、本当に胃瘻をして命をつないでよかったのか。


かえって、ツラい思いをさせているだけなのでは。。。。
と思うと後悔で胸がいっぱいになった。

本当にどうすればよかったのだろう。

決めたけど気持ちが揺れる

母の胃瘻を決めて手術まで終えたのに、
反対意見の記事やツイートを目にすると心が揺れてしまう。

 

本当にこれでよかったのか

 

年末に母と一緒に食べようと思って買った
カファレルのチョコレートセット。
結局食べられないまま置いてある。

 

カファレルのチョコレートセット

 

思い返せば、
8月31日の夜から9月1日の朝にかけて
脳出血で倒れてしまった母。
廊下に倒れているのを
WEBカメラで見つけたときの
なんともいえない不安感。

 

あれからほぼ4ヶ月。
母が退院したらチョコも食べられるようになるかな。
わずかな期待を持ってその日を待っている。
コロナ禍で面会もままならず、
わからないずくしで待つしかできなかった。

 

一瞬のことで人生ってこんなに変わっちゃうんだね。
どうなるかわからない不安と寂しさがごちゃごちゃになってる。

まさかこんなことになるとは夢にも思ってなかったよ。
何が起こるかわからない。

私もメソメソしてないで頑張らなきゃ。
私が強くなってしっかりと母を守れるようになりたいな。

母はどんなに不自由な思いをしてるか。
不安の中で過ごしていることか。

 

私は、母に一人ぼっちで逝ってほしくなかった。
自分のことは全部後回し、
何もかも我慢して、
家族のために尽くしてくれた母。
そんな母をたった1人で逝かせたくなかった。
人生の終わりには家族と一緒に
楽しく過ごす日々を味わって欲しかった。

「大変なこともあったけど、なんやかんや言うて楽しかったねー」って笑ってゆっくりお茶でも飲みたいなぁって思ってた。

私は母にどれだけ安心と幸せを感じてもらえるようにできるだろうか。
私自身は実績も結果もなにも残せてない。
母に甘えてだだ人生を好き勝手に生きてきただけ。
こんなダメダメ君だけどやるしかないよね。

今回はツラくても
現実から逃げないで、精一杯頑張ろうと思う。

病院から連絡がないのは成功の証

病院からはなんの連絡もない。
事前に「何か問題が起こったら連絡します」
と言われていたから、ひとまず安心。

予定では、
3〜4日でリハビリ病棟に戻れるから、
TV電話はもう少しお預け。
鼻のチューブが取れて、
少しは楽になっているといいけど。。。

先が見えない不安。
私が夢見ているようなゆったりとした温かな時間になるのか、手に負えない地獄になるのか。
優しい時間になるように全身全霊を注ぎ込むつもりではいるけど、世の中思い通りになることは少ないからなぁ。
もっともっと強くなりたい。
大事な人を支えるために。

 

昨日は田舎のご近所さんからお葬式の連絡があった。
私は顔も知らない人だけれど、村の人はみんな弔いにいくそう。
母の名前でお香典を出してもらうように頼んだ。

父の葬儀でいくらもっらっていたのか
家に入って見て香典帳を見てあげると言われたけど、
勝手に家の中に上がって欲しくないから断った。
慣れないご近所付き合い。
離れていても疲れる。。。。

今日は母が手術をする日

今日は母が胃瘻の手術を受ける日。

散々考えて決断したことだけれど、
本当によかったのか
いまだに心が揺れてる。

今はただ手術が成功すること。
手術中に母が苦しまないこと。

この2つを願うばかり。

胃瘻によって
母が苦しむだけになるかも…
という不安は拭いきれない。

それと、
自分に介護ができるか、
弱っていく母の姿を見るのはつらい。耐えられるか
不安と心配でどうにかなりそうだ。

なにもしないうちから、
アレコレ悩んでも気持ちが沈んでいくだけ。
まずは、気持ちを切り替えて、
前向きな心で日々を過ごせるように
自分の気持ちを整えていこうと思う。

やっぱり不安になってきた

最近はだいたい朝9時半ごろにフェイスタイムで話しができるようになった。
ちょうど朝のリハビリが終わる頃だ。

今日は少しご機嫌斜めみたいに見えた。
でも、話し出すとニッコリ笑ってくれる。
うれしい。


「顔、見えてる?」と聞くと「うん」とうなずく。
返事はどこか他人行儀で私のことが本当にわかっているのかどうかはわからない。
田舎の家の話しをするとだんだん母の顔が暗くなっていった。
そして
「もういいから。たいへんやねん」
と投げ出すように言って、
もう通話を切って欲しいという。


私は仕方なく
「じゃぁ、切るね。バイバイ」
と言って通話を終えた。

 

母は田舎の家に帰るのはイヤなのだろうか。
大阪に来た方がいいのだろうか。
田舎の家で世話をしようと決めていたけれど、
またまた気持ちが揺らいでしまう。

母に会って直接きくこともできないまま、
なにもかも自分たちで決めなくてはならない。
母に重い決断はさせたくないけど、
希望があれば叶えたい。
どうすればいいのか、心のモヤモヤは晴れない。

また、自問が始まる。

 

母が倒れているのをWEBカメラで発見。4ヶ月が過ぎて決断したこと。

久しぶりのブログです。

2年前に父が他界し、あれよあれよという間に時間が過ぎていきました。

父の他界から今までの2年間をお話しします。
母のひとり暮らしが始まりました。
生まれて初めてのひとり暮らしで不安だろうけど慣れてもらうしかない。

週1回のデイサービスと2泊3日のショートステイを利用して、週の半分は施設でお世話になり、残り3日間は家で自由に過ごすという生活パターンもすっかり定着しました。
毎朝6時に母から電話をかけてもらって他愛ないおしゃべり。

この2年の間、ほぼ毎日続けていました。

 

料理が面倒だという母の助けになるようにと、惣菜やお菓子、生活用品をたまに送って喜んでもらったり、私が田舎へ行く機会もだんだんと増えてきました。

 

今年の夏は1ヶ月ほど滞在して母と楽しい時間を過ごしました。
いつもの遠距離介護の生活に戻って2週間くらいたった9月の始め。

毎朝の電話がかかってこない。
おかしいなぁと思ったけど、二度寝したかもしれない。トイレかもしれない。
そう思って20分ほど待ってみた。

心配になって電話をかけてみる。
呼び出し音は鳴るけど電話に出ない。

 

おかしい。

 

少し前に設置したWEBカメラで部屋の様子を確認する。
私のスマホから様子を見れるようになっている。

1台目のカメラには誰もいない部屋だけ。

2台目のカメラはトイレと洗面所前の廊下が見えるようになっていた。

そこに人影が。。。

母が倒れているみたい。だけど、よく見えない!

 

5分ほどしてもう一度カメラを確認。

 

やっぱり、さっきと同じ姿勢で人影が映ってる。

母が倒れてる!

今度は確信した。

 

どうしよう。

 

今から家を出ても田舎の家につくのは3〜4時間かかる。
早くなんとかしなければ。。。。
近くに住む親戚のおばさんに電話をかけて、救急車の手配を頼む。
その足で家を飛び出し田舎の家へ向かう。

 

ドキドキ、ドキドキ

 

おばさんから電話があり、搬送された病院に向かう。

脳出血だった。

そのまま入院。
一命はとりとめたけどコロナ禍で面会できず、
母に声をかけて安心させてあげることもできなかった。

1ヶ月ほど経った10月初めに、治療が完了したのでリハビリをするための病院へ転院。
介護タクシーで移動するわずかな時間だけ母に会うことができた。
でも、変わり果てた姿にビックリ。
右半身がマヒしてしまい、まっすぐに座ることもできない。
意識もはっきりしないようで、私のこともわからないようだった。

 

転院して1ヶ月。
11月の終わりに病院で報告会がありリハビリの進捗状況をきく。
半身のマヒは回復の見込みが無いこと。
マヒした右腕と右足に萎縮がでて90°に曲がったままになっていること。
自分で飲み込むことができないので、鼻にチューブをいれて食事をとっていること。
認知が進んでいること。
そして、胃瘻をするかどうか検討してほしいと言われました。

 

胃瘻はあまり気が進まない。
苦しみを長引かせるだけじゃないかと悪いイメージがある。
でも、胃瘻をしなければ、それは母の寿命があと数ヶ月だけになることを意味する。

どっちが正しい選択か。

母に悲しい思いや辛い思いはしてほしくない。
でも、一人で倒れたままの不安な気持ちで最後を迎えて欲しくない。

 

何度も何度も考えた。

決められない。

 

ipadでテレビ電話ができるようにしてもらった。
機嫌のいいときはニッコリ笑ってくれる。
もっと母を笑顔にしたい。
胃瘻をしてつきっきりで介護しようと思う。

 

でも、気分が落ち込んでいるときは

「もうほっといて」

「もういいから」

「もうやめて」

と苦しそうに泣き叫ぶ。
苦しむ姿を見ると胸がえぐられる。
やっぱり胃瘻は止めた方がいいのか。。。

 

迷いに迷って、先週ようやく決断した。
ほんの少しでもコミュニケーションがとれるのだから生きていて欲しい。
12月23日、2回目の報告会で胃瘻の手術の同意書を提出しました。
来年の年明け早々に手術をするという。

2回目の報告会に向かう日は大雪だった

 

本当にこれでよかったのか、まだわからない。
今後どうなるのかもわからない。
コロナ禍で面会させてもらえないのが悔やまれるし、苦しい。
今は先が見えない不安で、まだ気持ちがグラついている。