遠距離介護が始まった…

突然起こった親の介護問題。なにもかも初めてで手探り状態ながらも、自分なりのスタイルを模索している実践記

母に会いたい

始まりは、去年の11月20日

いつものように母が入所している施設へ面会に行く。
母の部屋に飾ってもらうフラワーアレンジも忘れずに持参。

面会室まで車椅子にのせてもらった母がきて、ふたりだけで約15分話しができる。
施設のスタッフさんも、わざとゆっくりと「時間です」と伝えに来てくれる。
ほんのわずかな時間だけど、母と直接会って、
手を握って話しができる貴重な時間。
私にとっては何にも替えがたい大切な時間。

面会は7日おきという決まりがあるので、
次の面会まで田舎の家に滞在する。
1回の往復で母と2回面会ができるようにしている。
そして、月に1〜2往復、ほぼ毎週、
母と面会できるようにしていた。

いつもの面会から2日後、施設から電話。
母が発熱して、痰の量もスゴく多い、
施設の契約病院へ受診に行くと、誤嚥性肺炎とのこと。
そのまま入院となったという。
すぐに病院に向かい、入院手続きをした。

レンタルのペラペラな味気ないパジャマを着せるのは嫌だったので、いままで着用していた肌着やパジャマをそのまま使い、洗濯は私がすることにした。クリーニングってあまり信用してないから。入院中の面会は予約さえ取れば毎日でもOKだったので、このまま田舎の家に滞在して、毎日面会に行くことにした。私にできることって、それしか思いつかなかったから。
母は私だとわかるときもあるし、わからないときもあった。
でも、私だとわかったときは、すごく嬉しそうにニッコリしてくれて「また明日くるね」っていうと「うん、待ってる」って返事してくれた。その小さなやりとりが、ものすごく嬉しくて、わたしの気持ちを明るくしてくれたな。

誤嚥性肺炎の治療で抗生剤を点滴し、炎症も治まり、熱も下がってきたけど、強い薬の副作用で肝臓の数値が悪化。さらなる治療が必要になり入院が長引いた。

それでも、年が明けた1月11日にめでたく退院できた。
いつもの施設に戻ることができて、母もスタッフさんもとても喜んでいた。
退院時に立ち会い、母と話しができたけど、施設に戻ってから数日して落ち着いたら改めて面会に行こうと考えていた。あーよかった〜!これでひと安心。

施設の看護師さんから連絡があって、病院ではあまり衛生面をケアしてもらえなかったみたいで、手の指の付け根あたりがグジュグジュとただれている。水虫みたい。あと、手足のリハビリも充分ではなかったようで、拘縮がひどくなっているとのこと。もう、病院の看護師に対してすごく腹がたった。ちゃんと仕事しろ!!!!そういえば、車椅子の母が素足の時もあった。持ってきた靴下をはかせてあげたよ。どんな看護をしてるのか。洗濯のために持ち帰ったパジャマが酷く汚れていることもあった。胃瘻から溢れて付いた汚れみたいだった。血が付いているときも。本当に質の悪い環境。スタッフのレベルが低い。けれど、地域に病院は多くないから選べない。。。。

母の退院から数日後、面会予定の前日に施設から再び電話。

「スタッフにコロナ感染が出て、お母さんも感染した。
母たちが入所している建物全部を隔離。
部屋での投薬を開始する」とのこと。

もちろん、面会はキャンセル。

その後、ヤキモキしながら経過を待つ。
5日後、母の容態が悪化。
発熱と痰が出て苦しそうなので受診→即入院となった。

検査の結果は「誤嚥性肺炎」
両肺の2/3が壊れているそう。
酸素吸入と点滴の治療を開始するとのこと。

母のコロナ感染が陰性になったら面会もOKとのことで、経過を見守ることにした。

数日後、今度は病院でコロナ感染が起き、入院棟が封鎖に。
1月23日か24日に面会できるかも…といっていたのが、28日までは封鎖になってしまった。

どうあがいても面会はできそうにないので、
封鎖が解ける28日まで大阪に戻ることにした。
約2ヵ月間、郵便物や荷物はそのままになってるし、支払いが滞ってしまっているものもある(すぐ帰るつもりだったので、準備してなかった)

大阪に戻った翌日から田舎の家は大雪警報。
今日はサンダーバードも始発から運休してた。


今は母の容態が快方へ向かうことを、ひたすら願ってる。
あんな病院でひとりぽっちにしておきたくない!
できることなら一緒に病室で過ごしたい。

どうか、母が苦しい思いをしませんように。
病院で不快適な思いや嫌な思いをしませんように。

そして、また、あの優しい笑顔に会えますように。

 

決めるのは自分のほうだった

母に「一緒に暮らすことが目標だよ」って話したものの、
どうすれば実現できるのか考えていた。

★目標を作ることで生きる意欲になって欲しい…

★母の状態がもう少し回復してくれたら…
 せめて、口から飲むことが出来たら…
 ベッドの上に座ることが出来るようになったら…

そんな風に考えていたけど、問題はそこじゃない!って気づいた。
母の状態によって決めるんじゃない。
私の状態が受け入れる体制になっているかが問題なんだと。

今のままじゃ、共倒れ間違いなし。
母と一緒に暮らすなんて、単なる無謀なチャレンジでしかないし、
母にとっても私にとっても苦しいだけになってしまう可能性が大きい。

じゃぁ、どうすれば…???

しっかりとしたインカムの仕組みをつくらなきゃ!
収入を得ながら、母と過ごす時間もたっぷりと取れるように、私の生き方を見直す必要があるんだ。今までは仕事が最優先で、仕事ばっかりやってきた。作業量=収入に直結する仕組みになってる。ここ数年の遠距離介護で、仕事に割ける時間が徐々に減り、私自身も仕事に集中できる気分じゃなくなってしまって、どうしても仕事に身が入らない。そんな状態が続いている。これから先どうしよう。もう一度、気を引き締めて仕事を取りに営業に回るか…

なんか違う気がする。

第一に若い時みたいに体力的に無理が利かないのに、ガツガツ仕事をとってもなぁって思えてしまう。何かないか…何か…私にできること。いい年をしてゼロからの出発は厳しい。だったら今までの経験を元にしたことで、今まではと違う働き方を考えてみよう。今までの経験分スタート位置が有利になるはず。

そう気づいたので、昨日の面会で母にそう告げた。
一緒に暮らすことが私の最大の目標だけど、
今のままでは残念だけど無理だと思うこと。
一緒に暮らすために、
そして、母と一緒に過ごす時間を増やしたいから、
収入を得る方法を変えていこうと思っていること。
それが出来るまで待ってて欲しいと。

母は「わかった。ありがとう」といってくれた。
けど、なんだか元気がない。
スタッフさんが、よくおしゃべりしてくれる日もあるけど、気分のアップダウンが激しくてねぇ。。。という。今日のスタッフさんは少し感じの悪い人だった。

これから先、どこまでできるかわからない。
でも、できる限りのことをしていきたいと思う。
母のために、そして、なによりも自分のために。
自分の人生を生き抜くために。

今日は母と面会出来る!

今日は3時から10分だけ母と会える!
施設の面会ルールは7日ごとに10分だけ面会室で会うことができるのだ。
面会後は次の面会の予約をとる。
ここ数ヶ月のルーチンになった。

母の部屋に飾ってもらおうと、お花屋さんに行って優しいピンクのアレンジを作って貰った。

ここ数週間の母は、気持ちが沈み込んで、精神的に不安定な日が多くなっているという。母の苦しみが少しでも軽くなるようにするにはどうしたらいいのか。
最近はそのことばかりをずっと考えていた。

希望を持つこと。
前を向けるようにすること。
具体的な目標を持ってくれるといいのかな。

そうすると、
前向きな気持ちや生きる意欲、存在する意欲にならないだろうか。

そう考えて、母に

「一緒に住もう!」

と提案した。今すぐには無理でも、そうなるようにお互いに頑張ろう!って。
母はまっすぐ私の目をみて何も言わなかった。
ただ、ただ、無言でまっすぐ見つめるだけ。
怖いくらいだった。
本気なのかと責められているようだった。


でも、一緒に暮らしたい気持ちに嘘はない。
母が片麻痺になる前から、できればノンビリ一緒に暮らしていけたら…って考えていた。あちこち出かけたり、美味しいモノを食べに行ったり、庭仕事したり、小さな喜びをたくさん重ねていこうって思っていた。思っていたのに…

その想いに変わりはない。
ただ、今の状態の母を私ひとりで介護するのは無理だとも感じている。


せめて、麻痺側の拘縮がなくなれば…
せめて、残った半身を使って起き上がることができれば…
もっと欲を言えば、口から食べることができれば…

 

もっと早く母と一緒の時間を過ごすようにすれば良かった。
後悔ばかりが押し寄せる。

今の状態で私に出来ることは、できるだけ頻繁に会いに行くことだけ。


施設を出て、母とふたり暮らしをしたいけど、本音を言うと自信がない。
介護の実務者研修の資格をとったけど、勉強したからこそ、不安も大きくなった。
そんな気持ちを隠して、母に一緒に暮らそうといったのを、母に見透かされたようだ。

でも、私の中で次の目標は決まった。


母を施設から出して、ふたりで暮らす。


どうなったらその決断ができるのか。
今の母に変わってもらうのは無理だろうし、望まない。
私が受け入れる準備をしないと。

あまり時間がない。

 

何をしたいのか考えてみる

田舎の家には、母の手仕事がたくさん溢れている。
壁飾り、棚に飾ったお人形、食器棚にはカトラリーを仕切る小箱…
あちこちに母の手が優しい気持ちと一緒に行き届いている。

父と母が第二の人生を過ごした家。
父亡き後、母がひとりで頑張って守ってきた家。
ボロボロになってしまうのは忍びない。
人手に渡すのも嫌だ。

母の頑張りを、優しい心づかいを守りたい。
残していきたい。
そうか!
母を感じることができるこの田舎の家が大好きになっているのだ!

今の私は、

田舎の家を今の状態で守りたい!

って思ってる。
私の次はどうするかはまだまだ考えられない。
私と同じように、この家を大切に思う気持ちを引き継いでくれる誰かが現れてくれるように工夫していくことだろう。

そのために私がやるべきことは何だろう。


いいなって思って貰うためには、屋敷の手入れは必須。
でも、これには相当費用がかかる。
便利にできるところはどんどん改善して便利にスタイリッシュにしていきたい。
そうなると経済的なゆとりが必要になってくる。
また来たいと感じる魅力をつくらなくては。

2拠点移動と母の心配で本業もそっちのけになってる今、もう一度自分の経済基盤をしっかりさせないといけないな。でも、年をとってくると集中力、気力、体力が落ちてきて、若い時みたいな作業量をこなせない。売上を確保するために、従来どおりのやり方で営業をかけて仕事を取れても思うように仕事をこなせないだろう。

なにか新しい仕組みを考えねば…
何か…

私自身も前向きに、新しい1歩を踏み出して行かなければいけないんだな。
残された時間はそう多くない。
効率よく進めないと。
よくよく考えてみよう。

心に引っかかってるモヤモヤを吐き出してしまおう

胃瘻をしたことによって、結果的に母を苦しめることになってしまった。
回復の見込みがある…という医師の言葉にすがりついて決断してしまった。
母のためにというよりは、私自身が母を失いたくなかったのだ。
その準備が出来ていなかった。

そう思うと、母には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
お母さん、ごめんなさい。
私に覚悟が足りなかった。私の弱さが母を苦しめてしまった。
私は母のためになにができるだろうか。

 

先月、甥っ子が結婚した。
その知らせを聞いて、母の名前でお祝いを贈る。
母も今は亡き父も、とても可愛がり愛していた孫だもの、たっぷりとご祝儀を贈らなきゃ。お祝いを受け取った孫は新婦を連れて結婚の報告に行きたいとのこと。きっと久しぶりに孫に会えて母も大喜びするだろうなぁと思っていた。

すると、姉から、変わり果てた今の母の姿をみて自分の息子はショックを受けるかもしれない。息子が行く前に自分が母に面会して、どうするか考えたいと言ってきた。そして、すぐにお見舞いに来た。なにも知らない母は、久しぶりに姉が訪ねてきてすごく喜んでいた。
姉は田舎の家に1泊して帰り、その後、やっぱり合わせない方がいいと思うと言ってきた。母も今の姿を見られるよりは、昔の元気なイメージのまま孫の記憶に残りたいのではないかと思う。自分ならそう思うから。もちろん、義兄も同意見とのこと。
それを聞いて、ちょっとだけ心に引っかかっるものがあった。でも、それ以上何も言えないし、「そう、わかったよ」とだけ返事をして、母にはせめて写真と手紙くらいは送って報告してねと言っておいた。

 

昨日、久しぶりに友達に会っていろいろとおしゃべり。私の近況を知り、いろいろと心配してくれるのがうれしかった。そして、誰にも言わなかったモヤモヤ、結婚の報告の件でちょっと引っかかってるんだぁって告白。
友達は即座に「そんなのおかしいよ!そんな考えは理解できない!」と怒りだした。人が年を取って老いていくのは自然なこと。変わり果てた姿も生きている証なのだと。その変化もしっかり受け入れないといけないと。それが生命だし、生きていることだよって。

友人:お姉さんはどのくらい面会にくるの?

私:年に1〜2回かなぁ。。

友人:経済的な援助はあるの?

私:ないよ

友人:夫婦でしょっちゅう行っているゴルフにあなたも誘ってくれる?

私:ないよ

友人:…お母さんに会いに行く時間を作ってあげてもいいのにね…

そんな話しをした帰り道。
いろいろと思い出されてきた。
姉夫婦がタワマンを買ったときにお祝いを贈ったけど、一度も招待されてないな。
エアコン設置のトラブルで引っ越し前のエアコン工事のチェックに行ったきりだったよなぁ。(正式な招待ではない)
数年前にゴルフはラウンドに連れて行ってもらったけど、それっきりだな。
父の49日には姉だけ参加したけど、三回忌は誰も来なかったな。
お墓参りもこないな…

彼らは母や私のことをどう思ってるんだろ。

なんか、寂しくなってきた。

 

どうすれば…

母が脳出血で倒れ、
かろうじて一命を取り留めることができて、
もうすぐ1年になる。

母の容態は安定しているけど、不安になったり悲しくなって、泣き叫ぶことが多くなったという。
「お父さん、助けて!」
「やめてーーーー!」
「なんで、こんな目に遭うの?」
こんな言葉を叫んでいることが多いという。
母の苦しみを考えると胸が締め付けられるように苦しい。
なんにも出来ない自分が情けない。

なにかできることはないか…
自分の決断は間違っていたのか…
もう一度振り返って考えてみようと思う。

 

はじめは、2022年8月31日。
意識不明で倒れているのを発見して緊急搬送。
そのまま入院。
夜、入浴しようとしていたときに倒れたらしい。
ここ数年、毎朝母と電話でおしゃべりしていた。毎朝6時に母から電話がかかってくる。他愛のないおしゃべりをして楽しく過ごすのが日課になっていた。でもこの日は朝の電話が通じないので不審に思い、念のため設置しておいたWEBカメラで家の様子を確認したら、母が倒れているのがわかった。
すぐに、ご近所のおばさんに連絡して家の中に入って母の様子を確認して貰う。
私は、電話を切ってすぐに列車に飛び乗り母の家へ向かう。
倒れてから意識を失うまで、どのくらいの時間が経ったのだろう。
どうにもならない身体でひとりぽっちで倒れているのはどんなに不安だっただろう。助けを呼びたくても出来ない、何時間もそんな状態でいる心細さ、無力感はどんなだっただろう。

列車の中で、おばさんと連絡をとりあい、搬送された病院へ直行。
緊急搬送されて入院する手続きの間だけ母と会うことができた。
入院後は面会できず。。。

入院した翌月9月30日にリハビリ病院に転院。
転院のために病室を出るときに少しだけ話しができた。
髪は伸び放題で半身麻痺と手足の拘縮があり、入れ歯のない顔は別人のよう。母の入れ歯のない顔を初めて見た。あまりの見た目の変わりように愕然とした。

転院してリハビリに努めるが、思うような効果はでない。
拘縮した手足を伸ばそうとすると痛がって嫌がるという。
拘縮を改善するために「ボツリヌス治療」を行うことを提案され了承。
しかし、全く効果はなかった。
母に無駄に痛い思いをさせてしまったと後悔。

嚥下機能も回復せず、点滴だけの栄養補給では限界があるからと「胃瘻」の手術を提案される。手術を受ける母の負担を考えて、手術をするかどうか、本当に悩んだ。いろんな人に意見を聞いて、自分でもよく考えて、悩みに悩んだ末に手術をして貰うことにした。
医者から、母には意識がありコミュニケーションも取れる状態なので、胃瘻の手術は単なる延命ではなく、治療して回復していくための前向きな処置なんだと言われたことが決め手となった。意識不明だったり、コミュニケーションが取れないままだったなら、手術はしなかっただろう。点滴だけの栄養補給では、次第に栄養不足になり数ヶ月の命だと言われていた。

胃瘻の手術は成功し、胃瘻も開始。
体力は付いてきたようだが、不安や落ち込みは入院時からあったらしく、大声で泣き叫んで動くのでミトンをはめられていた。それと、夜にちゃんと眠れるように眠剤も多めに処方されていたようだ。(最初の病院でも同様だった)

3月20日、リハビリ病院から退院し、
いままでショートステイでお世話になっていた介護施設に入所。

実は、母の入院中に、退院後は自宅で私が母の介護をしようと介護のスクールに通い「実務者研修」の資格を取得。勉強してみると、母の介護をすべて私ひとりでできるかどうか不安になってきたことも事実だった。なんの経験もない、ましてや子育てしたこともない私が、おむつ交換や胃瘻の注入、痰の吸引、寝ている体位を2時間ごとに変えるといったことができるのだろうか。関係者全員に反対された。「あなた1人では無理ですよ」と。私もキツイけど介護される母も快適ではないと。2人とも不幸になると。

せめて口から食事をとれれば…
自力で座れるようになれば…
着替えのときに立つことができれば…
母と2人で暮らせるのに。
私の想像では、少し手助けをすればなんとか動けるまで回復して、食事も取れるようになってくれると思っていた。そして、一緒に暮らそうと。

でも、現実はそうならずに、母は寝たきりのまま。
半身麻痺と手足の拘縮は強まるばかり。

胃瘻のおかげで体力はついてきて、
週に1回の面会では、合うごとに元気になっているみたい。
その姿が嬉しくて、母に会うことが嬉しいこと、母が笑顔でいてくれることが私の生きがいであり元気の源になっていること、母の真似をしているけど自分ではぜんぜん足りないこと、そして母の凄さを知ったことを伝えている。
毎日でも会いたいけれど、面会は1週間に1回、10分のみ。
コロナ前は個室の入所者の場合、充実いっしょに部屋で過ごせたという。
コロナが五類になったら、元に戻るかなぁと期待するも、変化なし。

5月23日、母が意識不明となったため、施設が契約している病院へ検査入院することに。
施設からの連絡であわてて病院に向かう。
病院で母に会えたがいつも通りだった。母は自分がどこにいるのかわからないようだ。
施設のスタッフから話しを聞く。
朝、起こしに行っても返事がない。声をかけても反応なし。ビックリして病院へ搬送したとのこと。後で考えてみたら、不安や落ち込みで眠れない夜を過ごして、明け方になりようやく眠ったところに起こしにきたんじゃないか。ぐっすり寝ていたので反応しなかったんだろうと思う。大事を取ってくれた施設スタッフさんを責められない。

でも、病院ではいろんな検査をして、母にはまたツラい思いをさせてしまうことになった。
事前に面会日を予約、面会直前に2000円ほど払ってPCR検査をし、特別なマスクをはめて面会室へ。アクリルの透明な衝立越しに5分だけ面会。それでも2〜3日ごとに面会に行った。
結果は異常なし。なのに、母の様子はどんどん弱って行くみたい。ツラそうだった。前の病院からの治療記録を引き継がないで何度も検査をしたり、抜け毛や小さな虫がついたままのベッドなど病院に不信感が高くなり退院予定を確認。

6月16日施設に戻る。
1週間から2週間に1回の割合で面会に行く。
会うとうれしそうな笑顔でおしゃべりしてくれる。

8月15日の面会時。
施設のスタッフが、母の不眠と不安や落ち込みの頻度が上がってきて、精神科の先生の治療をしてもいいかとのこと。月に1〜2回だったのが、最近は2〜3日に一度になっているという。夜中泣きじゃくったり、大声で叫んだりするとのこと。泣きはらして目が真っ赤になって瞼も腫れてしまって、収まるまでは部屋にいて、ハレがひいたら食堂にいくとのこと。

母の悲しみ、苦しみを軽くしたい。
胃瘻をしたことで苦しみが長引いてしまったのか。

あえて胃瘻をしない選択をしたという知人がいた。
相談した義兄は大学病院のトップ、個人的な意見というよりは医学的にどうかというアドバイスが欲しかったけど、私と姉の問題だから意見は差し控えるとのコメント。しかも、自分が大腸ガンになったら姉にはどんな状態になっても胃瘻はしないで欲しいと伝言していた。
この話しをきいて怒りが湧いてきた。
胃瘻はよくないと思っていたんだなってわかったし、苦しみを長引かせるだけだと教えて欲しかった。治療して回復すると信じていたから同意したけど、今となっては母の苦しみや悲しみを長引かせているだけになってしまった。

母と一緒に暮らしたい。
そのために、もう少しだけリハビリを頑張ってって母に伝えよう。
母への感謝とともに。
母と2人でたのしい時間を過ごしたいと。

今の私には自分の想いを伝えるしかできない。
何も出来ないことが悲しいし、悔しい。
コロナのせいで、そっとそばに寄り添うこともできないなんて。。。

 

 

 

特養へ入所してほぼ1ヶ月が過ぎました。

写真を撮らずに置いてきたので、アレンジのイメージです。

入所当初は、
眠剤の時間が変わったこともあって、
夜中に起きて
「ここはどこやー」
「どうなってるんや!!!!」
って叫ぶこともあったそう。
最近ではだいぶ落ち着いてきたとのこと。
自分からおしゃべりすることもあると聞いてひと安心。

面会は1週間開けないと次の予約が取れない。
母が不安定だから。
県外から来るから。
といろいろと理由をつけて、
もっと面会できるようにアタックしてみたけどダメだった。

毎週10分だけ母に会える。
回を重ねるごとに顔色もよくなって、
反応もしっかりしてくる。
もう、メチャクチャ嬉しい💖

母の部屋が華やかになるように、
面会ごとに生花のアレンジを持って行くことにした。
あまり大きなモノは邪魔になるので、
小ぶりのアレンジがいいな。
アレンジの寿命は1週間ほどだから、
面会のサイクルとも合うし。

4月7日に面会に行ったときに
はじめて生花のアレンジを持って行き、
とても喜んでもらえたので続けることにしたのだ。

 

で、今日も前回購入したお店に行ったのですが。。。

私:3000円くらいのアレンジをお願いしたいのですが。。。

店員:3980円からのアレンジしか販売していません。オーダーでお作りするのも、すでに作ってあるアレンジでも価格は同じです。オーダーは20分〜30分かかりますが、作ってあるモノならすぐにお渡しできます。

私:2週間くらい前にそちらで3000円の予算でアレンジを作っていただいて、とてもステキだったので、また、買いに来たのですが。。。

店員:それは何年前に買ったものですか?→2週間前だって言ってるだろ〜(怒)
ウチで買われたものですか? 証拠になるような写真とかはありますか?
販売したスタッフの名前はわかりますか? どんな人でしたか?


超絶失礼な質問をしてきて、
私の母を喜ばせようという想いは踏みにじられたのでした。
問答中にチラっとみたアレンジのお花はクターっとしおれてるし、あんなくたびれたお花に4〜5000円も払えないよ。もうがっかり!二度といきません。青山○ラワー○ーケット。ぜんぜんダメ!!

当てにしていたお花屋さんがNGだったので、急きょ日比谷花壇へ。 みるからにお高そうなアレンジばかり💦。恐る恐る店員さんに声をかける。 アレンジは容器も必要になるので4000円以下では受けていないとのこと。

うーん、そんなに立派なものはいらないんだよなー。
もうちょっと、普段使いっぽい、気軽なモノがいいのに。。。

どうしよう、どうしよう、困った!
母にどうしても新鮮なお花を届けたい。
列車の時間も迫ってくるし、
どこにお花屋さんがあるかもわからない(泣)

たしか東梅田にもあったような…
うっすらした記憶をたよりに地下街を小走りに移動。

あったーーーーー!
「花直園芸」アレンジのお花も飾ってある!かわいい! お花もフレッシュで元気いっぱい。 しかもお値段もお手頃。 開店時間を尋ねてみると、午前9時から開けているそう。 素晴らしい!!!!! 次回からは、こちらでお花を調達して、母に面会に行くことにしました。
素敵なお花屋さんが見つかってよかった〜。